CSound, MAX/MSP, HAL9000

CSoundMAX/MSPもコンピュータ音楽関係の情報によく顔を出す名前です。CSoundは音の構造そのものを言語で記述することで音楽を組み立てていこうというプログラムです。MAX/MSPはよりグラフィカルな構造で音楽を作るソフトです(多分)。どちらのソフトもMax Mathewsという老齢の研究者と深いかかわりがあります。

Max Mathewsは1955年から1987年までAT&Tベル研究所の(つまり世界最高の)音響研究所に在籍していました[1]。在籍期間中1957年にディジタルコンピュータによる世界初の音楽演奏のデモを行っています。この時使われたのは彼自身が開発したMUSICと呼ばれるプログラムでした。MathewsはAT&Tの研究者でしたが、演奏者でもあった彼は時間外に研究所の機材を使って音楽に関係する「遊び」をやっていました。MUSICはその成果です。

Mathewsの仕事はその後次第にMUSICに力点を移していきます。MUSICはII, IIIと版を重ねるにつれて強力になり、新たな機能が追加されていきました。そしていくつかのコンピュータシステムに移植されていきます。また、彼はコンピュータによるアナログ・シンセサイザー制御システムGROOVEを開発しています。

MathewsとMUSICシリーズは多くの人に影響を与えます。特に1974年から1980年まで彼が科学顧問を務めたパリの国立音響/音楽研究所(IRCAM)は1986年に音楽記述プログラムを開発します。このプログラムはMathewsの名をもらってMAXと名づけられました。MAXは当初MIDIなどの機器を使って音楽を演奏していましたが、後に信号処理によって直接音を作り出すMSPを得てMAX/MSPとなりました。

Barry VercoeがMUSICに触れたのは1960年代半ばです[4]。シアトルのオペラハウスのためにMUSICによる音楽作成を行った後、もっどって来たプリンストン大学で彼は互換性問題に突き当たります。MUSICが稼動していたIBM7094が撤去され、IBM360になっていたのです。彼は仕方なくアセンブリ言語でMUSIC 360を書きます。1971年、MITに移籍した彼はパンチカードから飛躍して、MUSIC 360の処理能力を活かしたリアルタイムのディジタル・シンセサイザーの研究をはじめます。この研究は新たに納入されたDEC製のミニコンのおかげで再度ご破算になります。しかしこの小型のコンピュータはシンセサイザーの実時間制御に使えるくらい手軽で画期的でした。このDEC PDP-11にアセンブリ言語でMUSIC 11が実装され、10年にわたって稼動することになります。

Vercoeはその後IRCAMでのピッチ追跡のデモに影響を受け、スコア追跡システムなどを開発します。やがて1980年台の半ばになると、MUSIC 11はかなりの部分がC言語で書き換えられていました。また、彼のシンセサイザーも全てC言語で書き換えられていました。1985年、彼はこれらをベースにCSoundシステムを開発します。PDP-11が初期のUnix/C言語の母体であったことを考えれば、VercoeがC言語を使ったのは必然でした。また、Vercoeが何度もMUSICをアセンブリ言語で書き直していることを考えると、システム名に記述言語の"C"の名を入れたことに軽いおかしみを感じます。

Max Mathewsは、このようにコンピュータ音楽に大きな影響を与えたほか、自分自身でもRadio Batonのような面白いシステムを考案しています。

Mathewsがコンピュータ音楽に残した業績があまりに大きなせいか、1961年の彼の音声合成実験は日本ではあまり知られていないようです。IBM 7094上で行われたこの実験は、人間の気道モデルを使ってコンピュータで発声をシミュレートしたものです。デモに使われたのは"Bicycle built for two"という歌で、これが史上初めてコンピュータが歌った歌になりました。

資料[5]によれば、このときのプログラムを書いたのはJohn KellyとCarol Lockbaumです。Mathewsは「私は伴奏担当だった」と後に証言していますが、これは軽い謙遜と冗談でしょう。Mathewsの指導のもと、この二人がプログラムを組んだのだと考えるのが筋が通っています。この実験ではデータは磁気テープ上に生成され、後でジッターバッファーを介した再生を行いました。このMathewsによる伴奏つきデモの録音を資料[6]で聞くことができます。

後日、科学解説者としても有名なSF作家のArthur C. Clarkeがベル研究所の友人を訪ねた折、この「歌うコンピュータ」の話を聞くことになります。彼はStanley Kubrickと共同で書いた"2001: a space odyssey"(1968)の脚本の中でこの歌を使っています。作品の中で、間違いを犯したために嘘の上に嘘を重ねてしまったコンピュータHAL9000はついにクルーを殺してしまいます。HALは船長の手で分解されながら、薄れ行く意識の中、育ての親であるChandra博士が最初に教えてくれた"Bicycle built for two" 「デイジー」を歌います。

Daisy, Daisy,
Give me your answer do
I'm half crazy,
All for the love of you

Max Mathewsの写真を見ると、いかにも気のいいおじいちゃんといった感じで楽器を使っています。また、若いころの写真もやはり楽器を使っている姿を見ます。この音楽好きの研究者が開発したプログラムの血筋は最新のソフトウェアにも脈々と引き継がれています。そして彼のデモンストレーションは不朽の名作として語られる映画の中で知られざるオマージュを捧げられ、これからも繰り返し歌い続けられるのです。

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