プロセッサ製品にPLL周波数シンセサイザが内蔵されるようになってからずいぶんと経ちます。私が覚えている限り最初にPLLを内蔵したプロセッサはMC68332で、これは68Kアーキテクチャーを組み込み向けに改造するために新たに起こされたCPU32コアを使った最初のCPUでした。続いてMC68331/330などが製品化されてファミリーが大きくなり、「おおー」と驚いたのを覚えています。
PLL周波数シンセサイザは入力周波数をN倍にする便利な回路です。もともとは位相ロックループ回路の応用の一つでしかないのですが、通信分野できわめて広範囲に使われているためにPLLといえば周波数シンセサイザというイメージが広く受け入れられています。
周波数シンセサイザで信号周波数をN倍にすることを逓倍(ていばい)と呼びます。では、この「逓」ってなんでしょう?
「逓」という漢字を使った言葉を辞書で調べてみると「逓増」「逓減」「逓加」「逓送」「逓伝」といった聞いたことのない言葉ばかりが並んでいます。唯一わかるのは「逓信」で、これは郵便のことですね。いずれにせよ、相変わらず「逓」とは何か、これらの言葉を眺めてもイメージが湧きません。
辞書を読んでここに並べた言葉の意味を調べてみるとどれも「次々に」「順を追って」「だんだんと」といった意味をもっていることがわかります。逓送という言葉を調べてみるとこれは「宿場から宿場に次々に送ること」という意味です。昔は遠距離手紙を送る場合、飛脚が宿場継ぎで次々に手渡しながら送ったようです。なるほど、それならば逓信の意味もわかります。
江戸時代後期にペリー提督が置き土産として置いていった電信器は日本人の好奇心をはげしく掻き立てました。明治政府はこの技術を正式に採用し、日本全国に電信ネットワークを作り始めます。明治10年の西南の役では薩摩軍が電線を切って周ったといいますから、そのころにはすでに戦争における電気通信技術の重要度がよく認識されていたことがわかります。閑話休題。当時の電信装置は東京から何百キロも遠方に一気に信号を送ることはできません。ですから、要所要所に建てられた電信局(と、呼んだか?)の操作員が受信した電文のあて先を読み、次の局に送るという中継作業が必要でした。これでもうお分かりだと思いますが、電信器だけでは電文を目的地に送ることはできず、それを次々に継いで行く「逓」信こそが全国ネットワークを可能にしたのです。かつて明治政府で通信を一手に管理したのが逓信省だったのもうなずけます。
さて、そんなうんちくはともかく、これではなぜPLLシンセサイザの動作が逓倍と呼ばれるのかがまだわかりません。それを知るにはさらに逓倍回路の歴史を知らなければなりません。
トランジスタ回路の時代まで、高い周波数を作るのは一仕事でした。例えば、100MHzなどというのはおいそれと作ることのできる周波数ではありません。低い周波数で精度よく信号を作ってからこの周波数を何倍かに持ち上げていました。
ところが、周波数を持ち上げるにしても一気に10倍12倍といった倍数に持ち上げることはできなかったのです。これには回路の精度などいろいろな問題が絡んできます。結局、一度に2,3倍しながら、それを多段に組むことで大きな倍率を実現しました。例えば12倍ならばx3x2x2といった具合です。もうお気づきですね。周波数は一挙にN倍するわけには行かず、次々に「逓」倍しなければならかったのです。逓倍回路は各段の出力の共振回路をきちんと調整しなければ間違った周波数を作り出してしまい、また、同じ理由で経時変化への要求が厳しい回路でした。そもそもトランジスタ時代までは共振回路の調整は無線技術者の必須技術だったと言えます。
幸いといわなければなりませんが、今となってはこういう話は昔話です。PLLシンセサイザは倍率Nを設定すれば無調整で入力のN倍の周波数を作ってくれます。厳しい要求に耐えうる通信機用PLLシンセサイザーICが多くの会社から発売されており、さらに高周波回路と同一チップ上に組み込むことも可能になってきました。その意味で、プロセッサ用のPLL回路などやさしいといえるのでしょう。ただ、「逓倍」という名前にだけ、以前は大変だったという記憶が残されています。
⇒次はX可能