共立出版のbit誌のバッグナンバーを創刊号から読んでいます。
この雑誌は60年代の終りに創刊され、21世紀初頭に休刊しました。その間、多くの執筆陣により最新のコンピューティングやパラダイム、それらの動向が高い水準で紹介されました。専門家が、ときに砕けた調子で最新の話や興味深い話を紹介するのが特徴だったように思います。
さて、創刊号から読み始めてようやく通算50号(1973年4号)にたどり着きましたので、振り返ってみたいと思います。
まず湯川秀樹やアイザック・アシモフを始めとする『巻頭言』『ずいひつ』執筆陣の豪華さもさることながら、創刊号当時から日本のコンピュータ研究の黎明期に関わった人々に記事を書かせている点には驚かされます。ひとえに編集部の技量と言えますが、記事も通り一遍の紹介記事だけになってしまう事を許さず、ときに踏み込み、ときに笑い話を紹介しと硬軟取り揃えている点に驚きました。こういった特徴は私が購読していた80年代中期以降に感じていましたが、創刊時からの方針とは思いませんでした。特に60年代という時期にペントミノなどのコンピュータを知的好奇心に使う記事をを掲載していたのは驚きです。当時のコンピュータは貴重な資源であり、一部の人が研究や産業といった生産的な用途にのみ使っていました。
創刊当時はプログラム言語の入門(FORTRAN/COBOL)や、経営シミュレーションのような当時流行りの応用紹介が多いですが、これは巻を重ねるにつれて様子が変わっています。
50号時点で感じるのは、コンピュータを研究や産業に応用する記事と、黎明期からの執筆陣が覚えていただろう危機感を反映した記事が増えていることです。
前者はミニコンの普及と大型機の使いやすさが向上したことが背景でしょう。ミニコンはこの当時共立出版からその名もズバリ『ミニコン』と銘打った別冊が刊行されており、本誌の広告も大型機のものが目立った創刊号から様変わりし、50号ではミニコン広告が主流になっています。これはミニコンが注目の拡大市場であったことを示唆しています。また、大型機については数号前に東大の計算機センターがグラビアで紹介されており、研究でコンピュータを使うハードルが下がったことを思わせます。
後者の危機感ですが、これは対話型の連載『計算機莫迦話』や、初期のコンピュータのイニシャルローダーを題材に取ったリレー連載に見ることができます。
『計算機莫迦話』は、初回に「コンピュータが便利になった結果、コンピュータを使えはするが、詳しくは知らない人が増えた。これはまずい」という問題提起がなされ、使えるだけの人の中から10%の詳しい人を育てることを目的としています。題名はくだけていますが「CPUに大金を払ってもIOの待ち時間が大きいと投資が無駄になる」といった話が非常に詳しく解説されており、コンピュータ導入判断の悩ましさを感じることができます。
イニシャルローダーのリレー連載は別の座談会で職人芸的プログラミングの話が出たことが発端です。この連載には高級言語の普及で、コンピュータを知らなくてもプログラミングができることへのうっすらとした反発(というより知的落胆)があるように思えます。
俯瞰してみると、当時のbit誌を覆うのは
- ミニコンの普及や大型機の生産性向上による応用分野の広がり
- プログラミングの水準が上がったことへのうっすらとした不安
- アルゴリズムやコンピュータ科学そのものについてはこれからはこれから
といった印象です。
さて、こうしてみたとき、当時のbit誌からすっぽり抜け落ちていることがあることに気づきます。
マイクロエレクトロニクスの発展です。
1960年代はマイクロエレクトロニクスが民生市場におけるにおける計算を劇的に変えた時代でした。1950年代まで、経理部門ではそろばんと手回し計算機による計算が主流でした。ところが1961年にイギリスで真空管式の民生用計算機が発表されると2年後にはシャープがトランジスタ式計算機を発表しますます。これに各社が追従し、2,3年に一度のペースで、計算機の部品はトランジスタからSSI,MSIと発展し60年代の終わりから70年代の頭にかけてワンチップ電卓ICが登場します。
1960年代の頭に100万円以上した民生用電子計算機(コンピュータではない)は1972年のカシオミニでは12,800円まで値下がりし、これによりオドナー式登場以降100年続いた機械式計算機の市場が崩壊しています。
また、50号の前年である1972年にはHPが世界初のポケット関数計算機を発表して大ヒットを記録しており、やはり工学設計を長年支え続けた計算尺市場に対するジェリコのラッパとなっています。
そして何よりintelは8bitCPUであるi8008をすでに発表しており、創刊50号の年にはi8088を使用した個人向けのミニコンキットが発売されます。
bit誌を賑わしている記事のうち、ミニコンや大型機の使いやすさの向上といったものはすべてマイクロエレクトロニクスに支えられています。
にも関わらず、編集と執筆陣はこの分野で起きていることに無関心のように見えます。
未来を見通すことは容易ではないですが、なんとなくここには「成功した人は自分の成功にしがみつく』という悲しい性質が見えるようにも思えました。
この後数年間でbit誌の紙面がどう変化するのか楽しみです。