八木広満氏とClarkspur

すでに廃業した会社ですが、アメリカにClarkspur Designという会社がありました。アメリカでの創業は1990年です。WEBページはすでに消えていますが、Web Archiveに記録が残っています

この会社はDSPのIPライセンシングをおそらくは世界で最初に始めた会社で、ひょっとしたらそもそもCPUのIPライセンスを世界で最初に始めたか会社かもしれません。創業者は八木広満という方です。

日本人が起業した会社がシリコンバレーで活躍していたのですから少しは取り上げられてもよさそうなものですが、ネット上にはCQ出版社のインターフェース誌によるインタビューが残っている程度です。なお、これとは別にインターフェース誌1989年9月号にも3ページほどの記事があるようです。

かれこれ20年近く前にこの方の業績をさらっと調べたことがあるのですが、年末にもういちど掘り下げてみました。以下に書き記しておきます。

DSPの歴史から見た八木広満氏の経歴

八木広満という方の半導体の経歴は、私が知っている範囲では三菱から始まります。大阪で働いていたとのことで、おそらくは伊丹の設計部隊だったのでしょう。この話は任天堂がらみでもう一度出てきます。

氏は1980年ごろにRicohに転職します。そのころRicohはAMIから初期のDSPペリフェラルであるS2811のライセンスを受けており、このICの特殊な製造プロセスを一般的なNMOSに変更するためのプロジェクトに携わっています(EE Times Asia – Early history of DSP chip)。

ClarkspurのCompany Profile によれば、Riochで数年設計に携わった後八木氏はS2811の開発元であるAMIに移ります。その後Cylinkという会社でも設計をしていたとのことです。Cylinkは暗号技術のCylink Corporationだと思われますが、詳細は不明です。

任天堂ファミリー・コンピュータの歴史からみた八木広満氏

さて、八木氏とファミリー・コンピュータのかかわりについてはDSPに関するよりも解像度の高い情報が第三者によって語られています。

八木氏のファミリーコンピュータへのかかわりは高橋豊文氏へのインタビューで詳細に語られています。八木氏はPPUとよばれる表示装置の設計を担当していましたが、Ricohの論理設計グループの中では傑出した能力を持っていたと証言されています。

当時、ゲーム用のディスプレイ・コントローラは汎用品を使うことが主流でした。しかし、任天堂は高性能を目指してカスタムチップの開発を企画します。ここで登場するのが八木氏です。日経トレンディのWEB版に掲載された『任天堂ファミコンはこうして生まれた』(もとは日経エレクトロニクス誌の記事)によれば、任天堂がLSI開発の委託先としてRiochを選んだ理由の一つに八木氏の存在がありました。八木氏は三菱在籍中に任天堂のカスタムLSIの開発にかかわっていました。

先の高橋氏のインタビューで印象的に語られている八木氏の能力が、任天堂の担当者にも響いたのかもしれません。

高橋氏のインタビューによれば八木氏は1983年ごろに引き抜かれる形でRicohを退職しており、Ricohは任天堂がつられてその引き抜き先にスーパーファミコンのLSI開発を委託するのではないかとかなり警戒し、万一に備えスーパーファミコンの開発に関する営業を強化したとのことです。

Ricoh在籍時の八木氏はファミコン用LSIの開発時には技術的にも営業的にも大きな役割を果たしたようです。

セガMega Driveの歴史からみた八木広満氏

さて、Ricohを退社した後はゲーム業界との関係が途絶えた八木氏ですが、Clarkspurのビジネスが軌道に乗ってから再びゲーム業界に間接的にかかわってきます。

SEGAは1992年にリリースしたアーケード・ゲーム『バーチャレーシング』の成功を受け、これを家庭用のゲームコンソールであるSEGAメガドライブへ移植することを計画します。しかしながらこのゲームはポリゴンを利用したリアルタイム3Dグラフィックスが売り物です。メガドライブの演算能力では足りないことが明らかです。

メガドライブはCPUにMC68000を使用しており8bitゲーム機よりもはるかに強力です。しかし、それでも汎用機に過ぎず乗算命令には70サイクルも費やしてしまいます。リアルタイム・グラフィックス向きではありません。

そこでSEGAはゲームカセットに演算エンジンを入れてしまうことを計画します。おそらく演算エンジンに関して何社か選定したのではないかと思いますが、結局SamsungのDSPが選ばれます。このICはSVP( SEGA Virtua Processor )と命名されてバーチャレーシングのカセットに搭載されます。

SamsungはDSP開発では出遅れていましたが、それを取り戻すために同社のDSPラインナップであるSSP1600シリーズには他社製DSPコアが使用されていました。それがClarspurのCD2400シリーズです。

SSP1600のデータシートにはClarkspurのCD2400を使っているとはっきりと書いてあります。SSP1601のデータシートからはその文言が消えていますが、両者のブロックダイアグラムを見比べる限り、CD2400コアのアキュームレータ拡張版になっています。また、SVPのエミュレータを書いた人メモを読むと、SSP1600とSSP1601のプログラムはおおむね互換のようです。やはりClarkspur製でしょう(CD2450?)。

この16bit DSPを搭載したバーチャレーシングは十分なグラフィックス性能を発揮したものの、価格が高くSVPの採用はこのゲームだけにとどまったとのことです。メガドライブ向けのバーチャレーシングの発売は1994年3月で、その年の年末にはリアルタイム3Dグラフィックス機能を搭載したSONY Playstationが発売されています。八木氏のCD24xxコアはMC68000を使った古いゲーム機の能力を底上げするアクセラレータとして短期間利用されたのでした。

まとめ

CPU/DSPのライセンス・ビジネスはまず顧客との間に守秘契約があり、そのうえでライセンスが交わされます。したがって、誰がどのような製品にどのくらい使っているのかはほとんど明らかにされません(ARMは例外)。そのためか、ClarkspurはDSPの歴史を語るうえで外すことのできない会社のはずですが、ほとんど語られることはありません。

そもそもDSPという分野はほとんどクロニクル化がされていない分野です。幸いにも世界初の量産DSPであるuPD7720の開発者である西谷隆夫氏が当時のことをまとめて熱心に学会誌・業界紙に寄稿されているため、DSPが世に現れたまさにその瞬間の世の中の動きは、(第三者による検証が必要とは言え)割とはっきりと残っています。しかしながら、それを除けば八木氏のことを含めてほとんど歴史的なことが語られません。おそらくDSPそのものが組み込み用途であり、それゆえ歴史的にも関心を持たれないのでしょう。

ところが、最近気が付いたのですがこの八木広満という方はビンテージ・ゲームのマニアの間ではそれなりに名の知れた方のようです。しかも、面白いことに任天堂のハードのマニアと、セガのゲームのマニアの両者から知られています。

歴史的な重要度に反してDSP業界でもほとんど名を知られていない人がコンシューマ・ゲームの世界では年代記に重要人物としてその名を刻んでいるのは大変面白いことです。

「八木広満氏とClarkspur」への1件のフィードバック

  1. 面白いですね。
    こういう方は、日本から出ていくので、どこぞの学会あたりが人物伝を纏めておいてほしいです。

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